メキシコ留学記

メキシコの交換留学生が、メキシコ留学に関する情報、悩み、不安、愚痴などを書いています。否定的なコメントは別に構いませんが、礼節を書いたコメント及び暴言は削除、しつこい場合はコメント拒否リストに追加させていただきます。また、私のブログは議論を目的とするものではありません。

逆レイシスト、日本に興味ないだろ?

このブログでも度々紹介し、もうお馴染みになってきた逆レイシストの話を今回もしていこうと思います。初めて見る方にもわかるように説明すると、逆レイシストとは、普通のレイシストとは異なり、自分の好奇心を満たしたいがためだけに、相手のことを何も考えず、ステレオタイプな質問やあまりにも図々しい要求や失礼な言動をしてくる困った輩のことです。私はこの行為もまた人種差別だと思っているので、逆レイシストと彼らを名付け、軽蔑しています。

レイシストは、アジア人風の顔の人を見つけると必ず獲物を見つけたように不敵な笑みを浮かべ国籍を聞きます。そして、『私は日本(おそらく中国人なら中国だし、韓国人なら韓国)に興味があるの』と言ってきます。しかし彼らが次に繰り出してくる言葉は、『日本と中国同じでしょ?』、『日本は薬物合法でしょ?』、『名前を漢字で書いて!写真撮って!』等の失礼もしくは迷惑極まりない発言や質問です。正直、明らかに興味がないとしか思えず、ただ珍しいから好奇心を満たしたかったり、退屈を紛らわせたかったりしたいとしか思えません。

だいたい興味があるのなら、人に聞く前におそらく最低限の知識は、自分で調べていると思います。だから、本当に興味があるのなら、質問攻めになどすることはないと思います。これほどインターネットが発達した現代において、上に書いたような知識は簡単に知ることができますし、少し想像力を働かせて考えてみれば、その質問や要求が失礼に当たることもわかると思います。メキシコ人は元が図々しいので、逆レイシストともなれば最悪です。

誠に残念な話ですが、こういった人は日本にもいます。日本人が日本にいる外国人にこのようなことをするケースです。私はメキシコに来て、彼らの苦しみがよく理解できました。せめて私だけでも日本に来た外国人の方にはこういったことをしないであげようと思います。

 

帰国して誰にも会いたくないという気持ちが少し

留学中は日本の大学の先生方、事務の方々、家族、友人、カウンセラーの方等、様々な人達に支えられて此処まできました。ですから、留学が無事終了できた暁には、その方々にまず会って、お土産を渡し、お礼が言いたいと言う気持ちが大きな割合を占めています。

しかしながら、心の片隅のどこかで、誰にも会いたくないと言う気持ちがあるのもまた事実です。なぜなら、これだけ多くの人々に支えてもらっておきながら、最後までメキシコを肯定することができず、留学で成果をあげるわけでもなく、楽しむわけでもなく留学を終えてしまったからです。どのツラを下げて会えばいいかわかりません。また、メキシコの生活や成果について聞かれたとしても、ポジティブなことや肯定的なことは何も言える気がしないからです。正直な所、僕はメキシコに留学してしまったことを、今でも強く後悔していまし、これからも後悔していくと思うからです。

また、留学中あまり関わっていない方や、僕のSNSは見ているけど、そのネガティブな発言に否定的だった方々には、特にもう一度会いたくないです。次に会ってメキシコの話になったら、言い合いもしくは、喧嘩になり兼ねません。向こうは『留学言ってるくせに』と思ってるでしょうし、私としては『留学行ってないからそんなことが言えるんだ』と思い、絶対に理解し合うことができません。おそらく、同じ留学経験者同士であっても、その人がどんな経験をするかによって意見が全く異なるので、行った人と行っていない人だったら、意見が合うはずがありません。

まあ何を言っても、何を考えても、どの道会わなければならないので、今のうちに嘘が嘘と聞こえないような技術とネガティブな話でも楽しく聞かせられるようなトークスキルを磨いていきたいと思います。

メキシコ人へのフォローはフォローになっていない

メキシコ人について書いているブログ、ホームページ、またはyahoo知恵袋や掲示板のようなものは、数少ないながら存在します。そして、全てのサイトではありませんが、それらのページには私が書いているようなメキシコ人に対する苦言(時間を守らない、図々しい、謝らない、差別的等)が書いてあります。私のサイトであれば、苦言を書いてそのままフォローを入れずに終わりにしますが、大抵のサイトにはその後にフォローをきちんと入れています。掲示板では、反論として他の誰かがだいたいフォローを入れます。そのフォローはもちろん全てではありませんが、だいたい決まって以下のような言葉です。

メキシコ人は知らない人には信じられないぐらい嫌な奴だが身内には無茶苦茶優しい

これしかないのかってぐらいこのフォローの言葉をよく目にしました。別にフォローしている方を批判するつもりはありませんが、私はこの言葉は全くフォローになっていないと思いました。

なぜなら、人はみんな友人、恋人、家族には基本的には他人よりも優しいからです。身内に優しくない人は、基本的にそもそも他人にも優しくありません。身内だから、その人の悪いところも良いところも知っていて、その上で助け合って付き合っているわけです。他人の時点ではその人の悪いところも良いところも知らず、助け合いもしておらず、人間関係がまだしっかりできていない状態です。そんな人よりも身内に親切にするのは当たり前でしょう。もちろん、相続争い等の問題が生じた場合は別ですが、基本的には他人よりも身内には優しいわけです。

私がもしメキシコ人の良い所をいうとするのならば、それは自己肯定感が強く、物事をあまり気にしない所だと思います。これは厳しい現状や社会を生きていく上でとても重要なことだと思います。現にメキシコの自殺率というのはとても低いです。私は悩みすぎてしまうタイプなので、こういった所は少しメキシコ人を見習いたいと思っています。

日本に帰ったら食べたいものベスト5

海外の長期滞在から帰ってくると、よく滞在中何が食べたくなったか?や帰ってから真っ先に何を食べたか等についてよく聞かれることがあります。まあ正直話す話題がないから向こうも聞いているのでしょうが、確かに気になることではある気がします。私も逆の立場だったらそんな質問をすると思います。

ということで、今回は私が日本に帰ったら食べたいものベスト5をランキング形式で紹介していきたいと思います。

 

第5位 チンジャオロース

まさかの日本食ではなく中華です。しかしながら、前記事にも書いたように私の住んでいる地域にはまともな中華料理店がありません。そして、私は日本の中華料理が大好きで、一時帰国中は中華ばかり食べていました。その中でも一番好きなのがチンジャオロースです。

 

第4位 たこ焼き

たかがジャンクフード、されどジャンクフードです。日本ではメインにはこないジャンクフードですが、海外で美味しいたこ焼きを食べることは、私のようなど田舎に住んでいる人は勿論、先進国の主要都市に住んでいる人でも難しいのではないでしょうか?大好きなたこ焼きが食べられないのはとても悲しかったのです。

 

第3位 卵かけご飯

またしてもシンプルなものがランクインしました。日本ではお手軽に食べられる卵かけご飯ですが、海外ではなかなか生食用の卵を手に入れることは難しいです。さらに、日本のお米も手に入りません。毎日食べたい時におやつ感覚で食べられていたものが食べられないのは辛かったです。もしかしたら、帰国後すぐ吉野家の朝定食で食べるかもしれません(笑)

 

第2位 和菓子全般

僕は和菓子が大好きです。どら焼き、大判焼き、たい焼き、大福、栗羊羹等、正直ケーキは生クリームが嫌いなので、ケーキの百倍和菓子が好きです。勿論、そんな和菓子をここで食べることは不可能ですし、足が速いので親に送ってもらうことも不可能です。日本にいた時は、毎週食べていたのに、、、

 

第1位 寿司

やはりこれはどんな人に聞いてもこう答えるのではないでしょうか?海外で美味しい寿司を食べるのはなかなか難易度が高いことです。先進国の主要都市に住んでいる方でしたら、もしかしたら高いお金を出せば食べられかもしれませんが、私のような後進国のど田舎に住む底辺留学生には到底不可能なことです。正直あまり美味しくない空港のコンビニに売っているお寿司でもいいので、1秒でも早く食べたいです。

 

以上ベストファイブでした。第一位以外はかなり個人差があるように思えます。書いているうちに一刻も早く日本に帰りたくなってしまいました。

 

 

メキシコ人自己肯定感が強い

私がメキシコにいてとても感じたのが、メキシコ人にはナルシストが多い傾向があるということです。もちろん全員ではありませんが、傾向としてそういったことがあるということです。その原因としては、自己肯定感がとても強く、周りのことをあまり気にしない人が多いということがあると思います。よくも悪くも自分中心で物事を考えているので、客観的にあまり物事が見えていないような気がします。

私が男女ともにメキシコ人に絡まれていた時、共通して感じたのは私の都合を全く考えていないという点と、話しかけてやってる俺は親切だろ?感をとても感じました。私は話しかけて欲しいとも全く思っておらず、むしろ迷惑だったため、とても不快でした。後半はもう話しかけられても無視するまでに至りましたが、そうすると被害者面をしてくるのでさらに不快極まりないです。

さらに、自己肯定感の強さから謝ることをしない人が多いです。人のことをあまり考えず、人に迷惑をかけても基本的には謝りません。ひたすら言い訳をして、逃げて、ごまかします。謝ったら死ぬ病気にでもかかってんのかってぐらい謝らない人が多いです。同じ理由から嘘をつく人も多いですし、約束を守らない人も多いです。だから、僕はあまりメキシコ人を信用できません。絶対一緒に仕事ができないタイプです。

実は私は人種差別的なのも、この自己肯定感の強さからきているのではないかと考えています。つまり、自分たちの境遇は自分たちが悪いのではなく、先進国の奴ら(特にアジア人)が儲けているせいだという考えが彼らに人種差別をさせているということです。しかし実際は彼らのせいです。アジア人のせいではありません。ましてや、通りすがりのアジア人に暴言をはいて何が変わるというのでしょうか?

ここまでメキシコ人を叩いてきましたが、自己肯定感が強いのは悪いことではありません。自分に自信を持つというのも、時には必要だと思います。問題は、その自己肯定をどこに持っていくかだと思います。人種差別などではなく、正しい方向にメキシコ人の自己肯定感が向かえば、メキシコは物凄く発展するのではないでしょうか?

メキシコ1日単位では真夏と真冬

タイトルではメキシコと書いたものの、私が住んでいる地域の話であり、メキシコ全体の話をしているわけではありません。実際に住んでいるわけではなく、インターネットで読んだ情報を総合してみると、メキシコシティなんかは私が住んでいる場所と気候の特徴が似ているかもしれません。確実には言えませんが、これからメキシコシティに行こうとしている方は、少し参考にしていただけるといいかもしれません。

以前の記事に書いたように、私の住んでいる地域は1日で気温差が最低でも10度以上あり、夏と冬ぐらいの気温差があります。このようなことをいうと、日本にいる友人や家族はなぜか負けじと『日本も1日や一週間で温度差がひどくて』と言ってきます。負けず嫌いなんでしょうか(笑)

同じ1日単位で換算すれば温度差は10度どころではありません。少なくとも15度ぐらいは寒暖差があります。日本の日ではありません。例えば、朝ものすごく寒く、昼間は少し涼しいぐらいの気温の翌日は、朝は少し肌寒く、昼間は半袖でも暑いと感じるぐらいの気温だったりします。つまり、真冬と真夏ぐらい寒暖差があるんです。

ちなみにこうしてブログを書いる今は、家の中で上着をきていても寒さを感じるぐらいです。本当に寒いです。でも、その翌日は耐えられないぐらい暑くなったりするんですから本当に体調を壊してしまいます。日本にいた際は、暮らしにくい気候だなと感じていましたが、今思えば甘えでした。1日安定して暑かったり、一週間単位で見ても今住んでいる地域ほど、寒暖差はないので、だいぶ暮らしやすい気候だったんだなとしみじみ感じます。

ちなみに、スペインのサラマンカで暮らしていた時は日本よりも気候が安定していたため(私がいた時期がよかったのかもしれませんが、、、)、そういった意味では帰りたくないなと思っていました。気候も留学生活を円滑にするためには、とても大切な要素なのかもしれません。

 

楽しくない、成果もない、そんな留学の意味

私は、そもそもうまく言っていない留学が、さらに環境の変化によってうまく行かなくなり、鬱々とした気分になってくると、強迫神経症の症状が余計ひどくなってきます。そうなってくると、余計鬱々とした気分になり、未来に希望が持てなくなり、こんな思いをしてまで、続けている留学の意味ってなんだろうか?とよく考えるようになります。何故なら楽しい留学には友人や、素敵な思い出が、何かを一生懸命頑張った留学には成果や友人が、留学終了時に残るからです。私は友人と呼べる友人は二人ぐらいしかできませんでしたし、特にこれといった成果も残せていません。私はただメキシコで鬱々とした気分で、強迫神経症に苦しみながら孤独に自己嫌悪しながら過ごしていただけですから。確かに我慢大会なので、精神修行にはなりましたし、前よりもストレスに強くなり、精神的にも一回り強くなれたかな?とは思いましたが、それだったら別に留学しなくても寺にでもこもってればいいとも思っていました。だから、特別留学をした意味っていうのが見つからなかったんです。

しかしこの前、NHKのあるテレビ番組の動画がyoutubeに上がっており、その番組で宮沢賢治の人生を振り返りながら、ある精神科の先生がこんなことを言っていました。『今の若者は誰かと繋がっていなければ、一緒にいなければならないと思っている、コミュ力が重視されすぎている。宮沢賢治のように孤独の中で何かを作り出す時間も重要』。

この言葉に私はとても救われました。メキシコ人とは全く馬が合わず、私は強制的に孤立しました。そして、人生で一番孤独な時間を過ごすこととなりました。その時間のおかげで、ブログを書いたり、自己嫌悪しながら自分を見つめ直すことができました。これは日本では絶対に手にすることができない時間です。何故なら、日本には家族なり、少ないながらも友人なり、自分を理解してくれる教授なりがいて、決して孤独ではないからです。

もしかしたら、うまくいかなかったからこそ、これからどうしていけばいいかわからないと言う問題がはっきり見えたのかもしれません。うまくいかない留学は自分を見つめ直す、とてもいい時間なのかもしれません。