メキシコ留学記

メキシコの交換留学生が、メキシコ留学に関する情報、悩み、不安、愚痴などを書いています。否定的なコメントは別に構いませんが、礼節を書いたコメント及び暴言は削除、しつこい場合はコメント拒否リストに追加させていただきます。また、私のブログは議論を目的とするものではありません。

楽しくない、成果もない、そんな留学の意味

私は、そもそもうまく言っていない留学が、さらに環境の変化によってうまく行かなくなり、鬱々とした気分になってくると、強迫神経症の症状が余計ひどくなってきます。そうなってくると、余計鬱々とした気分になり、未来に希望が持てなくなり、こんな思いをしてまで、続けている留学の意味ってなんだろうか?とよく考えるようになります。何故なら楽しい留学には友人や、素敵な思い出が、何かを一生懸命頑張った留学には成果や友人が、留学終了時に残るからです。私は友人と呼べる友人は二人ぐらいしかできませんでしたし、特にこれといった成果も残せていません。私はただメキシコで鬱々とした気分で、強迫神経症に苦しみながら孤独に自己嫌悪しながら過ごしていただけですから。確かに我慢大会なので、精神修行にはなりましたし、前よりもストレスに強くなり、精神的にも一回り強くなれたかな?とは思いましたが、それだったら別に留学しなくても寺にでもこもってればいいとも思っていました。だから、特別留学をした意味っていうのが見つからなかったんです。

しかしこの前、NHKのあるテレビ番組の動画がyoutubeに上がっており、その番組で宮沢賢治の人生を振り返りながら、ある精神科の先生がこんなことを言っていました。『今の若者は誰かと繋がっていなければ、一緒にいなければならないと思っている、コミュ力が重視されすぎている。宮沢賢治のように孤独の中で何かを作り出す時間も重要』。

この言葉に私はとても救われました。メキシコ人とは全く馬が合わず、私は強制的に孤立しました。そして、人生で一番孤独な時間を過ごすこととなりました。その時間のおかげで、ブログを書いたり、自己嫌悪しながら自分を見つめ直すことができました。これは日本では絶対に手にすることができない時間です。何故なら、日本には家族なり、少ないながらも友人なり、自分を理解してくれる教授なりがいて、決して孤独ではないからです。

もしかしたら、うまくいかなかったからこそ、これからどうしていけばいいかわからないと言う問題がはっきり見えたのかもしれません。うまくいかない留学は自分を見つめ直す、とてもいい時間なのかもしれません。